正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

三昧境について:15

観想という修行は、最初時期こそ言葉で仏の事を念じるだけでしたが、徐々に具体性を帯び、仏の姿そのものを対象とする瞑想の方法は、中国では阿弥陀仏と結縁するようなイメージに結びついていきます。

仏(阿弥陀仏)の住んでいる浄土の様子をありありとイメージする、瞑想する補助としてそれのために用いる経典が登場します。その代表的なものが『観無量寿経』です。

この経典では日想観、水想観、地想観、 樹想観などが登場しますが、それは、日没の太陽、西方の一切が水であること、阿弥陀の極楽 国土を観ること、極楽に生えている樹木、茎、枝葉、果実に専心することなどを指しますが、 それは、明らかに心の中に思い浮かべ、そこに心を集中させていく方法です。

さらに補助として修行者のために絵が用いられ、極楽浄土の絢爛たる様子が具体性を帯び、修行者は経典を読み、それらを記憶して心中で再現する行為までが修行となったようです。

極楽に往生しようとする者を、その資質や能力から上品・中品・下品の三つに分類し、さらにそれぞれの品を上・中・下の三種に分類するものである。
すなわち上品の者には上品上生(じょうぼんじょうしょう)・上品中生・上品下生の三者があり、それぞれに資質や能力の上下はあれども、いづれも大乗の教えにしたがい、深く因果を信じて極楽往生を願う人々である。これを第十四の観想という。(観無量寿経

説明によると、観無量寿経は極楽浄土に往生するてだてとして、十六の観想を順々に説く経典です。そのなかで、初めの十三の観想は、禅定において阿弥陀仏や極楽浄土を観想するという善行(定善の観法)による極楽往生を説くものです。

そして第十四から第十六の観想は、観想とは称されるものの、実際には禅定もできないような、心が常に散乱しているような人々でも出来るような極楽往生の善行(散善の行)を、とはなにかを求めて中国の善導(613年〜681年)は「定善」もできないような罪悪の凡夫のために念仏による極楽往生

これが中国では大ブームとなり、日本へも伝播して称名念仏へと発展していきます。信仰者を三昧境へ誘う念仏三昧の始まりです。