正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

三昧境について:16

いきなり中国の善導や慧遠まで飛びましたが、大乗仏教には心の構造分析という過程があったことも重要です。いわゆる五陰(色受想行識)の「識」の階層分析です。

この分析に異常な功績があったのが、瑜伽行唯識学派です。この唯識派で説かれるところの外部対象は皆自分の心の影、投影となっていて、こういう分析構造になっています。

『起信論』の止の修習は、インドで実践を重んじた大乗の瑜迦行派の唯識観に通じる。
 「以上、止の修習について説かれた。特に、数息観や遍処を用いず、心の構造を理解して心の本性に帰順する立場は、基本的に、唯識観と等しい。『解深密経』分別瑜迦品では、奢摩他・毘鉢舎那が双運するときの心一境性に関し、三昧の中の影像は、唯識であると通達し、そう通達し已って、真如を思惟することである、といっている。この観の構造は、『起信論』の今のそれとほぼ等しい。『起信論』の止観の根底は、明らかに大乗の唯識観にあるのである。」(竹村牧男・大乗起信論読釈)

この発想から華厳経の中に、この「三昧」について「三界唯一心、心外無別法、心仏及衆生、 是三無差別」という箇所があります。心と仏と衆生と三無差別という法義が生まれるのですが、これも構造はこうです。

「この真如三昧による故に、法界一相を知るのである。この法界一相とは、諸仏の法身と、我々の身と、平等平等であって無二であるということである。もちろん、もとより、諸仏と我々と、その身は無二なのである。ただ真如三昧を通じて、そのことを知るのである。
そういう法界一相のこの法界を法界ごと三昧するのを、一行三昧と名づける。真如三昧は、また一行三昧である。(中略)この真如三昧は、一切の三昧の根本である。この真如三昧を修すれば、漸々に無量の三昧を生ずることができるのである。」(竹村牧男・大乗起信論読釈)

唯識ではこの真如三昧なる状態を第八識「阿頼耶識」(あらやしき)天台宗ではさらに第九識「阿摩羅識」(あまらしき)という深層意識の根底を表しています。