正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

三昧境について:23

中国からの道教とのコラボは大きな変化をもたらしましたが、釈迦のもともとの悟りへの工程を蓑輪顕量氏の解説で一旦整理しましょう。

釈尊も、このような心の働きを静める観察法を、悟りを開かれるまでの修行時代に行 っています。ウッダカラーマプッタ仙には「なにものもない」のだと感じられるだけの境地(無 所有処)を、アーラーラ・カーラーマ仙には「微細な働きだけが残った」境地(非想非非想処) を教わり、自ら難なく体験したと伝えられています。(蓑輪顕量氏・瞑想)

この無色界禅定を得たものの、日常に戻るとまたいつもの妄想や想念に戻ってしまう心の状態を釈迦は独自の瞑想法で克服します。

問題となるのは、「何々だ」と判断する心の働きです。この働きの生じる直前 には、過去からの記憶や学習の働きが、何らかの影響力を及ぼしていると捉えられるのですが (でなければ判断はできませんので)、とにかく、捉えられる対象が心に描かれて、それに言語機能が働いて、何々だという判断を起こしているのです。実は、この「何々だ」という判断、 了承、分別の働きがくせ者で、この働きから私たちは、次なる心の反応を引き起こすのだと捉えられていたのです。(蓑輪顕量氏・瞑想)

最初期の縁起法はこういうシンプルなものでした、この判断を止めるのが瞑想なのですが、行住坐臥に瞑想を行うことで妄想の癖の矯正を目指したのです。

日常の悩み苦しみは、この判断、了承、分別の働きから生じることになります。スッタニパータの中にも、「識別作用から悩みや苦しみが起こる、識別作用のない人には悩み苦しみがない。」の言及が見えます。
では、どのようにすれば、識別作用、すなわち判断、了承、分別の起きないような状態が出 現するのでしょうか。ここにヴィパッサナー(止観)の真骨頂があると考えられるのですが、それは、 五官で感じ取っていること全てを、気づきの対象とすることでありました。(蓑輪顕量氏・瞑想)

こういう手段で初期仏教は解脱を目指したのですが、大乗思想から中国に至って日本に届けられるまでになんと多くの夾雑物がはいって歪められたのか・・・拝んでいる仏に救ってもらうとか、本尊に仏性が入っているとか。まったく余計なことです。