正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

三昧境について:24

ちょっと余計な中国での瞑想のテクを見てみます。天台大師の止観です。
蓑輪顕量氏によりますと以下のようです。

天台の中では、体の部位に心を振り向けることを「繋念の 止」と述べて採用しているのですが、振り向ける場所が独特なものになってきています。その 心を振り向ける場所が、中国で伝統的に見いだされてきた身体のツボなどに相当するのです。 たとえば、気の集まる丹田は、明らかに心を振り向ける場所になっています。たとえば、『次第禅門』の中には止を繋縁の止、制心の止、体真の止と三つに分類することを述べ、繋縁の止は次のように説明しています。

今、繋縁の止というのは、心を鼻柱、臍間などの処に繋ぎ、みだりに駆けめぐらせない、 だから繋縁の止と名づけるのである。(大正四六、四九二上)

心をつなぎ止める部位としてあげられているのは鼻柱と臍間です。臍間はへその周辺ですから、 伝統的には臍下丹田に相当する箇所です。ということは、心をつなぎ止める対象が、東アジア 世界で気が集まるところとされた場所になっています。また、入る息、出る息の観察も、イン ドのものとは大分変わっています。こちらは『天台小止観』の記述です。

次に口から濁気を吐くのがよい。気を吐く方法は、口を開いて気を放ち、荒かったり急で あってはならい。これによって綿々と続いて気を恣にして出す。

身体の中の百脈の通じていないところに想いを致し、息を放ち気に随って出す。口や鼻を閉じて清気を納める。

このようにすること三度に至り、身体と息とが調和するなら、ただ一遍でも事足りる。(大 正四六、四六六中)

ここでは明らかに気という言葉を使っています。ここからは、呼吸の観察が気と密接に結びつ いて行われていたことがわかります。

なんとなく初期仏教の瞑想のような、そうでないような、「口から濁気を吐くのがよい。気を吐く方法は・・」の箇所など「気」という体をめぐる善悪の霊気のようなものを吐くことで心を収めるという発想は、なかな中国的です。