正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

三昧境について:27

日本に流れてきた仏教では仏像とそれを崇めることで導かれる世界を重視していました。天台宗でもゆっくりと念仏を唱えながら、堂内を歩く行法。これも、止観の観点から見れば、基本は止の行法になり、心の働きを静めていく行法とされました。

つまり、短い言葉を繰り返しゆっくりと唱えるというのは、原始仏教の修行道の中で意識されていた「寂静随念の修習」と蓑輪顕量氏は指摘しています。

院政期の頃から中世の奈良に掛けては、特筆すべき行法が登場します。まず最初は、興福寺 に活躍した菩提院蔵俊(1104-1180)によって発案されたと推定されていますが、解脱貞慶 (1155-1213)の残した短編を集めた『解脱上人小章集』という資料の中に登場する「弥勒教授の頌」です。

本来は「観影唯是心」に始まる八句が用いられるのですが、便法として「念仏のように『観影唯是心』の一句を繰り返し唱えるのが良い」とも示されます。短いフレーズを繰り返し唱えるのは、念仏と同じことと推測されます。弥勒教授の頌は『阿毘達磨雑集論』の中 に出てくる一節で、かつ法相宗にとっては大事な文章ですので、それを用いることに意義があ ったのでしょう。これも、短い言葉を繰り返し唱える点から見ていけば、止の働きを持った行法と言うことができます。(奈良仏教における工夫・蓑輪顕量氏)

座禅が称名念仏へと変わり、その理論的背景に止観の「止の行法」をふくらませていった、という過程です。マントラのような短い聖句を唱えることで没我の境地への誘う誘引法=思念・雑念を止める=止の行法です。