正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

三昧境について:29

日本では座って瞑想する行為は修行としてポピュラーになりましたが、向き不向きがあったようで、次第に工夫が加えられました。歩いたり念仏を唱えたりという形態が発展していったようです。

曹洞宗では道元(1200-53)の残した坐禅の指南書に『普勧坐禅儀』がありますが、そ の中では明らかに心の働きを静めていくことが記されています。

「心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて、作仏を図ることなかれ」(『道元禅師全集』下巻、3頁)という記述が出てきます。

心の働きを止めていくことが出てきますので、明らかに止を意識していることは間違いありません。
また『正法眼蔵』現成公案の中に「仏道を習ふといふは自己をならふ也。自己をならふとい ふは自己を忘るるなり。自己をわするるといふは万法に証せらるるなり」(『道元禅師全集』上巻7頁)との有名な言葉が出てきますが、この「万法に証せらるる」というのは、あらゆる外界をそのままに受け止めていることを示しているのではないかと考えられます。一つの解釈に過ぎないかも知れませんが、そのままに受け止めて判断を加えていないことを示していると 理解できる可能性を持っています。とすれば、こちらは「観」を念頭に置いていると考えられます。(蓑輪顕量氏・禅宗の伝えた行法)

行法としては初期仏教の「止と観」との双方を伝えて修行していたと推定されているそうです。ただ残念なことにこういう修行がどういうものであったかは、類推の域を出ずに詳細が伝わっていないようで、曹洞宗も代を重ねるごとに徐々に世俗化の憂き目をおったようです。