正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

浄土はどこにある?:6

日蓮遺文で確認できる在る浄土、成る浄土、往く浄土ですが、絶対の真理(天台)という書籍で田村芳郎氏が① 「来世浄土」(往く浄土) ② 「浄仏国土」(成る浄土) ③ 「常寂光土」(在る浄土)として、以下のように説明しています。

三種の浄土観

この論理を浄土にあてはめれば、娑婆と浄土の不二・空ないし娑婆即浄土ということから、この現実の娑婆をおいて、ほかに浄土はないと、まず説かれよう。積極的にいえば、無常であり苦にみちた現世のただなかにあって、永遠・極楽の浄土を感得することである。
これを一口に、ある浄土といえよう。絶対浄土であり、絶対一元の世界である。天台智顎のいう常寂光土とは、これをさす。妙楽湛然は、それについて、「豈に伽耶を離れて、別に常寂を求めんや。寂光の外に、別に娑婆有るに非ず」(『法華文句記』巻第二十五)と釈している。

日本天台にきて恵心僧都源信は、その著『往生要集』で常行三昧法にふれつつ、凡夫・娑婆と彌陀・浄土と「本来空寂にして一体」(巻上之末)と説き、『観心略要集』では、「我が身即ち彌陀、彌陀即ち我が身なれば、娑婆即ち極楽、極楽即ち娑婆なり。……故に遥かに十万億国土を過ぎて安養浄刹を求むべからず。一念の妄心を翻し法性の理を思わば、己心に仏身を見、己心に浄土を見ん」とのべている。

ところで、娑婆即浄土ということは、あるのは娑婆だけであって、浄土は存在しないということではない。ないというならば娑婆もなければ、それにたいする浄土もなく、あるというならば、娑婆もあれば、それにたいする浄土もあるということである。かくして、ここに不二の上の而二として娑婆と浄土の二が立てられ、生まれゆくべき世界として、浄土が娑婆の彼岸に対置されてくる。これを一口に、ゆく浄土といえよう。絶対の上の相対浄土である。

さきの『観心略要集』に、「閻浮を厭離するに非ずして、而も之を厭離し、極楽を欣求するに非ずして、而も之を欣求す。……空なりと雖も、而も往生し、往生すと雖も、而も空なるのみ」と説くところである。

先に見たように大乗の説く浄土観にもいろいろ種類が有りましたが、さらに上記のこういう分類になるようです、これをもう少し探ってみます。