正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

浄土はどこにある?:8

日蓮立正安国論で娑婆即寂光とした理想のあり方は、今までに見た「浄仏国土」の考えで、『維摩経』に「諸仏の国土の永寂如空なるを観ずと雖も、而も種々の清浄の仏土を現ずる、是れ菩薩の行なり」(問疾品・第五)と説かれた通りの菩薩の誓願行でもあります。

仏国土とは現実世界の浄土化を意味する。いわば、現実に成る浄土である。法華経にも「仏土を浄めんが為の故に、常に勤め精進し、衆生を教化せん」(五百弟子受記品)とあり、先の維摩経とともに菩薩が浄仏国土に努めるいまある現実の国土です。

その現実の中で仏道実践に励む菩薩の努め(菩薩行)として現実社会の中で活動していた仏教徒によっておこされた大乗菩薩運動において、恐らく最初に考えられた浄土であろうと、考えられています。日蓮遺文にもその思想は伺うことができます。

「問うて云く法華経修行の者何れの浄土を期す可きや。答えて云く〔中略〕本地久成の円仏は此の世界に在り。此の土を捨てて何れの土を願う可きや。故に法華経修行の者の所住の処を浄土と思う可し。何ぞ煩しく他処を求めんや(中略)法華涅槃を信ずる行者は余処に求む可きに非ず。此の経を信ずる人の所在の処は即ち浄土なり(法華初心成仏抄)

 

「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ。〔中略〕我法華経の信心をやぶらずして、霊山にまいりて返てみちびけかし」(開目抄)

 

此の土の我等衆生は五百塵点劫より已来教主釈尊の愛子なり。(中略)有縁の仏と結縁の衆生とは譬えば天月の清水に浮ぶが如く」(法華取要抄)

 

「我等と釈迦仏とは同じ程の仏なり。釈迦仏は天月の如し、我等は水中の影の月なり。釈迦仏の本土は実には娑婆世界なり」(下山御消息)

この門下に与えた教示を日蓮独自の思想と捉える人が多いが、浄仏国土仏国土を浄める」意で、大乗仏教の流れの中の浄土観「成る浄土」であることが分かる。