正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

浄土はどこにある?:12

浄土= 仏土は、初期仏教にはなく、大乗仏教において、生まれた概念。
4〜5世紀頃の成立であるヴァスバンドゥ(世親)が作者の『倶舎論』では、、仏は三界から脱出して無に帰していることになっています。
身も心も完全に無に帰すること(無餘涅槃・阿羅漢の境地)が、原始仏教徒のめざす最高の境地。その悟りの境涯から考えれば仏が何処かで形を有し、どこかの仏国土にあって活動するということは考えられない。

ところが、仏滅後に発展した大乗仏教では、十方の仏たちはそれぞれ仏国土の建設をめざしてなおかつ修行し、それぞれの仏国土を建設して、迷える衆生をそこに導きいれるために永遠に活動をつづけるという設定です。

阿シュク仏の「妙喜国」、薬師如来の「浄瑠璃世界」、阿弥陀仏の「極楽浄土」等々、大乗仏教に説く仏身には法・報・応の三身があるという点からすれば、土には法身土(法土)・報身土(報土)・応身土(応土)の三土があることになっています。

これを仏教教理の見解よりすれば阿弥陀仏は報身仏ですから、その浄土である極楽は報土であるとされます。これは別名・実報土ともいい修行時代の菩薩が立てた誓願によって成就される浄土のこと。

これについて浄土真宗では、報土について真実報土と方便化土を分け、化土は報土のはたらきである点において報土におさまるが、ある意味衆生を導くための方便としてあるとする。他力の信心を得た者のみが往生する報土を真実報土というそうです。

真宗では人間の苦悩に答えてお釈迦さまはこの世に誕生され、人間の言葉で人類始まって以来初めて阿弥陀仏の本願を説いたとなり、釈迦を教主(きょうしゅ)、阿弥陀を救主(きゅうしゅ)として位置づけをしています。

この教義を見ると日蓮が浄土宗は釈迦を捨てたというのは、短絡であることがわかります。