正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

浄土はどこにある?:13

日蓮が攻撃した浄土宗の阿弥陀浄土ですが、通常「極楽」と呼ばれています。サンスクリット原語は「楽のあるところ」という意味で経典でこれを「極楽」としたのは訳経僧の鳩摩羅什です。

この語源は仏典ではなく中国古典で枚乗の「上書諫呉王」(文選39)などに「この上ない楽しみ」という意味で、また班固の『西都賦』などに「楽しみを極める」という意味で見え、さらに『淮南子』原道訓には「至極の楽しみ」という語が出てますので、これらの慣用語を「楽のあるところ」の翻訳の際に流用したものと思えます。

阿弥陀仏の住する世界は他に「極楽世界」「極楽国土」とも訳され漢訳仏典では「須摩題」「須呵摩提」などという音写語や、「安楽」「安養」という訳語も用いられています。極楽一辺倒ではなかったようです。

日本に7世紀頃この経典類がもたらされて阿弥陀仏の浄土が、他の仏(東西南北)の浄土に比較して一番信仰の対象とされたため、「浄土」といえば阿弥陀仏の極楽をさす用法が定着するようになり「極楽浄土」はあの世のポピュラー言語となったようです。

その浄土教の定着ぶりは9世紀前半に円仁(794-864)が中国五台山の念仏三昧法を比叡山に移植し、良源(912-985)が『極楽浄土九品往生義』、源信(942-1017)が『往生要集』を著して、天台浄土教が主に貴族に浸透して比叡山ではそれらの信仰者を集めて二十五三昧会(にじゅうござんまいえ)という念仏結社が比叡山の横川にあった首楞厳院で、日を決めて25人の僧が結集して法修する法要が開催されたそうです。

天台以外でも三論宗の永観(1033-1111)や真言宗覚鑁(1095-1143)のような念仏者が輩出し、これらの歴史的土壌に法然が現れて『選択本願念仏集』を著して浄土宗を起こし、弟子の親鸞(1173-1262)は『教行信証』等を著して浄土真宗の祖となり、一遍(1239-89)は諸国を遊行して時宗を開いたというのが日本念仏のおおまかな流れです。