正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

浄土はどこにある?:15

ところで寂光土を究竟の土として本化の菩薩が待機する場所というのが末法に現れる予備知識ですが、ここから末法本仏という論が引き出されます。寂光に待機する菩薩群は、虚空会で釈迦の久遠を証明するために菩薩として現れましたが、正体を明かせば、つまり久遠の古仏ということです。

ところがこの土ですが、河村孝照著『天台学辞典』には「常寂光土は真如の理の表現の土である。それ故、別に常寂光土という土がある訳でなく、これを理土という。」(302頁)と説明されているように、常寂光土は事土ではないのです。

これ実は日蓮系には大変なことで、常寂光土は理土といって、凡聖同居土・方便有余土・実報土の外に事土として別に有るのでは無いと「天台学辞典」に説明されているように、久成釈尊や本化地涌の大菩薩の住する処に即して在る土と云うことです。

「実報無障礙土は実報土ともいい、地上の菩薩の所住であって、ここでは報身の如来を現見することができるのである。菩薩が修めた因行に酬報するところの果報土であるから、巍巍堂堂たる大身相を現見することができる。最後の常寂光土の名は普賢観経から採ったもので、略して寂光土ともいい、法身如来所居の仏土であり、四土のうちで最高である。」(安藤俊雄・天台学)

上記の如く高位の菩薩(地涌の菩薩)である地上(十住・十廻向等より上位の菩薩位)の住処は実報土、と説明されてあります。実は天台大師もちゃんと述べています。

「或は「其の仏の住処を常寂光と名づく」と言うは、即ち究竟の土なり。寂光は埋通ずること、鏡の如く器の如し。諸土は別異なること、像の如く飯の如し。業力に隔てられ、感見すること同じからず。『浄名』に云わく、「我が仏土は浄けれども、汝は見ず」と。此れは乃ち衆生の感見の差別にして、仏土に関からざるなり。」(法華玄義巻第七上)

一見すると寂光=究竟の土と見えますが、高位の菩薩である地上(十住・十廻向等より上位の菩薩位)の住処は実報土、法身如来所居が寂光土とあり、「本時の寂光の空中より、今時の寂光の空中に出づ。」と天台大師が残したように応現の理土が寂光土というのは仮の話なんですね。