正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

浄土はどこにある?:16

日蓮遺文の寂光土に関する見解を幾つか引用してみます。

法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり、道場とは十界の衆生の住処を云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり此れを道場と云うなり(御義口伝)

日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか、娑婆世界の中には日本国・日本国の中には相模の国・相模の国の中には片瀬・片瀬の中には竜口に日蓮が命を・とどめをく事は法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか(四条金吾殿御消息)

◎されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ、常寂光土の都たるべし。我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見、本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事、うれしとも申す計り無し、申す計り無し。(最蓮房御返事)

◎夢中の一切経論の言説なり無相の極理とは月と風との如くなる寤の我が身の心性の寂光の極楽なり、此の極楽とは十方法界の正報の有情と十方法界の依報の国土と和合して一体三身即一なり、四土不二にして法身の一仏なり十界を身と為すは法身なり十界を心と為すは報身なり十界を形と為すは応身なり十界の外に仏無し仏の外に十界無くして依正不二なり身土不二なり一仏の身体なるを以て寂光土と云う是の故に無相の極理とは云うなり(三世諸仏総勘文教相廃立)

 前回の寂光土は理土という天台の解釈を合わせてみますと、『止観』『妙玄』(法華玄義)に明かす果報の義を見てみますと

妙覚は正しく是れ究竟の報身、究竟報土に居す。此の土は是れ即理の
事、則ち金宝華池有り。
寂光は是れ究竟の法身の所居。是れ即事の理、則ち金宝華池無し。
★妙覚 ・ 報身― 報土― 金宝華池有り、法身― 寂光 ・ 理土― 金宝華池無し
と妙覚と寂光土とは金宝華池のある無しで事理を分かつとなっています。

この「金宝華池」とは知礼(中国・北宋代の天台宗山家派の僧)が「寂光は但理に非ず、金宝華池等有り」との説を立てて寂光有相説を唱えたことによります。

それに対して仁岳(知礼の弟子だったが山外派に転向して論争する)が『抉膜』で反論しています。

『抉膜』曰く、寂光は是れ理とは、但中の理に非ず。すなわち具徳の理なり。

と応酬しましたが、結局両者の結論は出ないままでした。

天台宗の山家・山外いずれの義に立つかで、寂光有相、無相の両説もなされ得るということで、寂光土そのものは把握された事土ではなく仮設の土ということだけは理解できます。