正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

放棄した理由

お釈迦さんがこの世で闘争を避けるように言い残している阿含経には以下の様な言葉があります。

「比丘たちよ、その盲目の亀が、百年に一度だけ海面に浮かんできて、ついに、その軛(くびき)の一つの孔に首を突きこむのは、比丘たちよ、それは、煉獄に堕ちたる愚かなる者が、ふたたび人身を得るのに比ぶれば、まだ速やかである、とわたしはいう。それは何のゆえであろうか。
比丘たちよ、それは、彼処には、正しい行いもなく、安静な行もなく、善業もなく、福行もないからであり、そこには、ただ共食いがあり、弱肉強食があるばかりだからである。」(増谷文雄訳・阿含経典)

この盲目の亀の例えは、有名で大乗教団でもよく取り上げられます。ブッダが説法から報酬を得ず「乞食」をした理由は闘争=殺生を避けるためだけでなく、阿含経の説かれる修羅闘諍の世界、この「弱肉強食の世界」から身を置き換える意味もあったのでしょう。

例えば、もし釈迦が説法をして在家から対価を得たとすれば、別の既に「教えによって対価を得ていたバラモン達」と教団の存続をかけた生き残り(生存競争)を行わざるをえないことに陥ります。

これもこの世の仕組みに陥ることになってしまいます。一切の生産的所業の放棄は修羅闘諍の世界からの撤退でもあります。

それを「仕事をせずにニートの集まり」と世の中から見られていたことは事実ですが、国王や大資産家が相談を持ちかけていた立場で付き合ったことも事実です。

しかし一切の対価を得なかったことの理由は、先のこの世の生存競争のシステムに陥らないようにする感情連鎖の放棄であったことが理解できます。

「この世の中には、なにかほんの少しでも、わたしが執着して、しかも、過ちなきことをうる(得る)ものはない」阿含経典)と、残したとおりです。