正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

自業自得か、自業他得か?

自業自得の自己責任仏道から、自業他得のアイデアは「空」思想の発展ですけど、これが後には般若経を離れて大乗仏教経典の功徳回向の思想に定着します。

阿弥陀経に説かれる法蔵菩薩阿弥陀仏)の無限の時間にわたる難行による極楽建設が、他のあらゆる有情の苦悩解決に幸福をもたらす、という浄土教の展開は「空思想」なしには、不可能なものであったとされています。

回向というのは、善行為(喜びに値する行為)で得た功徳を他にも分け与えることです。
功徳とは幸せに生きるためのエネルギーです。
「私がした善い徳をあなたにも分けてあげます。あなたも幸福でありますように」ということなのです。それは、自分の善行為を大げさに言い張ることではないのです。徳を皆で分けることで、「自分が善いことをしたんだ」というエゴが消えるのです。ですから回向は、心を清らかにするために必要な大切な行為です。(アヌモーダナ:回向・初期仏教の世界)

初期仏教や上座部でも回向の観念は有りますが、成仏に関係するということはなくあくまでも「回向は、心を清らかにするために必要な大切な行為」の修行徳目で布施など善業をした功徳先祖・家族に振り替える善業ですが、大乗仏教になると自己が習得していなくとも、他人の回向で成仏というスーパーカードが違いです。

世親(天親)は、「礼拝、讃歎、観察、作願、回向」と五念門を説き、往生浄土のための行の中、自ら修めた諸功徳をすべての衆生に回向して、ともに浄土に往生して仏となることを重要な項目としてあげている。

たとえ悪人でも題目なり念仏を唱えると仏が向かえに来てくれる約束です。これは一神教に近い有神論的な「信」の宗教となった大乗系仏教では「自業自得」ではなくそれぞれの仏(阿弥陀仏や久遠実成の釈尊日蓮さん)の力によってそれぞれの浄土に行けることにしたのです。

上座部仏教では、仏は輪廻から解脱した存在なので「功徳」とか「回向」とか個人の輪廻に関わる論理は当てはまりません。