正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

継ぎ接ぎの経典

先の華厳経のアチラコチラで懺悔文としてよく唱えられている『普賢行願讃』は華厳経という経典群の入法界品の中にあるそうです。

我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡 従身語意之所生 一切我今皆懺悔

(読み下し文)

「我が昔造りし所の諸の悪業は、皆無始の貪と瞋と痴とに由る。

(わが)身と語と意とより生じたる所なり。
(その)一切(の悪業)を、我は今、皆懺悔す」(普賢菩薩行願讃)

こういう「無始の貪と瞋と痴とに由る。」と言うところは、初期仏典と同じことを言うのですね。この懺悔文はちと怪しくて華厳経六十巻や華厳経八十巻本には存在しないのですが、唐代・不空訳の普賢菩薩行願讃では「我曽所作衆罪業 皆由貪欲瞋恚癡 由身口意亦如是 我皆陳説於一切」と訳されています。

この普賢菩薩の行法をまとめたのが、法華経に結経として仏説普賢菩薩行法経としてあります。なぜかならば、法華経には功徳ばかりあってそれを得る行法(修行方法)がないので、天台大師が追加で開経に無量義経と結教に仏説普賢菩薩行法経を入れました。

これで天台大師は、法華三部経完成として法華思想と法華実践は完結していると発表したようです。

日蓮もその意を受けて『釈迦一代五時継図』のなかで、『法華文句』(天台大師著)から引用して、「普賢観は法華を結成す」と述べています。

これは、観普賢菩薩行法経が法華経の結論であること、行法経がなければ、法華経は意味を成さないということです。