正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

法華勝、華厳劣の実際。

密教においては、大日如来毘盧遮那仏なんですが、漢訳経典では初期仏典のジャンルになる「雑阿含経」にヴァイローチャナの音写、つまり「毘廬遮那」が確認できます。しかし、仏格ではなく太陽を意味するものだったといいます。

やがてその後の大乗仏典である「仏説観普賢菩薩行法経」(法華三部経の結経)、 「大方便仏報恩経」、「六十華厳経」(漢訳華厳経80巻本。4世紀末-5世紀初頭)で、釈迦の別名として「毘廬遮那」が使われるようになり、日蓮もよく引用する5世紀頃の「梵網経」では「毘廬遮那」が本仏、釈迦は迹仏とされるようです。

こういうヤバい箇所は日蓮遺文ではシカトしているようです。梵網経は最澄も重用した大乗戒の根拠となった経典ですが、もちろん中国で新しく作られた経典、つまり偽経のジャンルです。

その後、再訳された「八十華厳経」(漢訳華厳経80巻本。7世紀末-8世紀初頭)や、華厳宗などで本尊とされた「毘廬遮那」は、 さらにその性格が拡大されて中期密教の摩訶毘廬遮那、大日如来になったのが大乗における毘盧遮那仏の発展展開です。
華厳宗では「大方広仏華厳経」の旧訳(くやく)、新訳の違いで釈迦と同一、釈迦の異名とされたようですね。日蓮もその旧訳と新訳に悩まされたようです。 

「其の後則天皇后の御世に華厳宗立つ・前に天台大師にせめられし六十巻の華厳経をば・さしをきて後に日照三蔵のわたせる新訳の華厳経八十巻をもつて立てたり、此の宗のせんにいわく華厳経は根本法輪・法華経は枝末法輪等云云、則天皇后は尼にてをはせしが内外典に・こざかしき人なり、慢心たかくして天台宗をさげをぼしてありしなり、法相といゐ・華厳宗といゐ・二重に法華経かくれさせ給う。」(衆生身心御書)

何が何でも法華至上主義で、天台の教相判釈を用いて華厳経法華経に劣るとしたようですが、漢訳華厳経80巻は7世紀末-8世紀初頭の漢訳ですので、天台大師(538〜597年)は知るよしもありません。知らない経典を判釈しようがないはずなんですが、そこは法華原理主義でうそぶいたようです。