正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

如来常住、悉有仏性

大乗仏典の涅槃経は「如来常住、悉有仏性」と仏性の常住も説いていますが、幅田裕美氏によれば、梵語の「仏性」の「性」と漢訳された元の言語「dhatu」は仏舎利という意味で、漢語の「性」はもともと備わっている心、本質、というような意味だそうです。

つまり仏舎利が、漢訳の際には仏舎利→本来備わる本質、にすり替わったことで、なにか深遠な意味に変化してしまったんですね。

「仏性」の言語は Buddha-dhatu
dhatuは「構成要素」という意味でBuddha-dhatuは「仏陀の構成要素」イコール「仏界」。
涅槃経には明らかに「仏舎利(ブッダの遺骨)」という意味で崇拝を勧める記述も出てくる(幅田裕美氏著・大般涅槃経の抜粋)

初期仏教では苦・無常・無我は三法印ですが、大乗の涅槃経に来て世の無常は仏の常住と変化して、仏陀の永遠の救済のアイコンになってしまいました。

それは幅田裕美氏によれば「常住」という語は時間概念の支配でなく、空間概念の把握だそうです。

「仏は大乗の初門に且らく小乗戒を説き給いしかども、時すぎぬれば禁めて云く涅槃経に云く「若し人有つて如来は無常なりと言わん云何んぞ是の人舌堕落せざらん」と等云云」(下山ご消息)

 と、日蓮遺文にも見事に反映されていますが、後に日蓮法華経(大乗経典の極み)も滅後(末法)には否定して、当世はただ題目だけと飛躍していきます。

となると大乗で否定された時間概念も常住と肯定された空間的救済も全否定したということです。