正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

木っ端微塵の十大弟子

大乗では初期仏教は小乗と呼ばれて、釈迦と同等の悟りを得た阿羅漢ですら、小さな悟りに偏執した修行者として見られています。代表的な経典は維摩経で、釈迦の十大弟子が悉く維摩居士に論破されていきます。

その大乗の思想的論拠は「空」の思想と菩薩思想でした、唯一文殊菩薩のみが対等に話せたという比喩を以ってそれまでの上座部仏教を劣等なものと説いてあります。

不於三界現身意、是為宴坐。
三界とは欲界、色界、無色界で、いわゆる衆生の生きている世界、苦綸の海、この世、俗界の意。 法を説く、仏法を知るのは、仏法そのものが、三界の人々、俗界の衆生を救うことにあるのだから、人のいない静かな山林で座禅をすることは、智慧者がおこなう行為ではない。 町、村、俗界に身、心をおくべきである。これが正しい座禅である。

不起滅定而現諸威儀、是為宴坐。
滅定とは、涅槃すなわち、悟りが開かれた世界。悟りは、座禅のみで得るものではない、行住坐臥、時處諸縁、いかなる威儀においても、悟はえられる、この行為を座禅という。

不捨道法而現凡夫事、是為宴坐。
俗界の活動を凡夫の事として偏見し、山林ににげこむのは座禅ではない。(維摩詰所説経弟子品第三)

 日本では聖徳太子がこの経典と法華経を支持し、太子にとっては在家仏教振興の手がかりではないかとされています。もちろん法華経も舎利佛を始めとして十大弟子は悉く菩薩運動の参加を表明して、ようやく授記(未来成仏)を得るという有様です。

舎利弗、尚(なお)此の経に於いては、信を以て入(い)ることを得たり。況(いわ)んや餘(よ)の声聞をや。其の餘の声聞も、佛語を信ずるが故に此の経に随順す。己(おの)が智分(ちぶん)に非ず。(法華経・譬喩品第三)

ところがせっかく授記を得ても気の遠くなるような未来の成仏で、大乗は三劫成仏といわれるのはまだ早いくらいで、こうです。

舎利弗よ、お前は未来世において、人が計ることも考えることもできない限りなく遠い未来において、幾千万億の諸仏に仕え、 菩薩のなすべきことを終えて、華光如来となるであろう。」(法華経・譬喩品第三)

これって未来成仏なんですかね?私には二乗故にほぼ不成仏が決定しているように思えますけど。