正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

菩薩修行のマゾ度数

上座部の山林にこもって自分のみの解脱を修行する態度の批判として菩薩思想が顕れますが、八千頌(じゅ)般若経にはその強烈な修行態度が出てきます。

有名なサダープラルディタ(常啼/じょうたい)菩薩のお話の中にエッセンスの凝縮があります。

常啼(じょうたい)菩薩というのは、原語はサダープラルディタで、いつもめそめそ泣いているという意味でして、事実、彼は貧しく、ちょっと困難に逢うとすぐ立ち止まって泣き出すという性格なのです。その常啼は最後にガンダヴァティーという都に到達し、法上菩薩という善知識に逢い、この人から般若波羅蜜に関する究極の教えを受けて、悪魔の妨げの手は彼の赴くところ、どこにでも伸びていた。さとりへの道はまことに血を枯らし骨を削る苦難の旅であった。
師について教えを受け、尊いことばを記そうと思っても、紙も墨も得ることができない。彼は刀をとって自分の腕を突き、血を流して師のことばを記した。このようにして、彼は尊いさとりのことばを得たのであった。(サダープラルディタ)

と、これだけなんですが、これだけ見るとジャータカ(釈迦の前世修行譚)の慈悲深い尸毘王が、ある時にはバラモン僧のために両眼を布施したとか、
無仏の世にヒマラヤで菩薩の修行をしていると、羅刹が諸行無常・是生滅法といったので、その残りの半句を聞くために腹をすかせた羅刹のために、生滅滅已・寂滅為楽の半句を聞き、木石などに書き残して投身した雪山童子と似たような話ですが、この常啼菩薩もこれを象徴的に演じて菩薩精神を煽っています。

「自分は今貧しくて、ダルモードガダ菩薩に供養するものを何も持っていないが、何も供養するものなしにダルモードガダ菩薩のところへ参ることは、私の心が許さない。この上は我が身を売って財物を求め、それをもってダルモードガダ菩薩に供養しよう。」

そこでサダープラルディタは大きな町の街頭に立ち、大きな声で言った。

「人間をおいりようの方はありませんか? 人間をおいりようの方はありませんか?」

と。しかしそこに悪魔がいて、サダープラルディタの道の心を打ち砕こうと、人々の耳をふさいだので、ほとんどの者は、サダープラルディタの声を聞くことができなかった。(般若経

これから菩薩の精神のマゾ度数がどんどん上がっていきます。