正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

見仏でハッピー

法華経だけでなく、浄土系でも見仏という体験は重要で、そのためにわざわざ浄土の有様を意識して記憶に残すために絵画として現し、それを修行中に思い出すことでそこにいる自身の体験とする観仏という修行要素があるようです。

『高僧伝』中の普明伝では、普明の誦経が『法華経』の勧発品に至る毎に、象に乗った普賢菩薩 が彼の前に現われたと伝えている。曇摩耶舍は厳しい苦行と懺悔を続けた後、 博叉天王が夢に現れ弘教の啓示を与えられた。求那跋陀羅も中国語を身につけ たいと禮懺を行ったところ夢に白服で劍を持った人が現われ彼の頭をすげ替え てその祈りをかなえたとある。『続高僧伝』に目を転じると、まず、慧思伝では、 一日一回に食を制限し、受戒に関係する厳しい苦行の末に、弥勒弥陀の説法開悟の夢を見たとしている。(法華経と苦行と滅罪・荒井しのぶ氏)

 先に上げた日蓮の塔中相承という体験も似たようなもので、マントラをずっと唱える集中修行で妄想とも言える脳内現象をリアルに体験したかのような自覚を叡山の横川系などでは多くの僧侶が得ています。

遥か異国で没した釈迦如来に知遇することを願った修行者が直接にその悟りを得ようとする行為ですが、穀断ちしたり断食したりして、意識もうろうの中で釈迦より直授されることを臨んだのでしょう。

過酷な体力の限界の四無行(断食、断水、不眠、不臥を9日間続ける)を続ける千日回峰行も同様の修行法ですね。

一度行に入ったら、1000日の荒行をやり遂げなければならず、その覚悟の証のように行者は常に短刀と紐を携帯するといいます。これは、途中で行をやめる場合、腹を切るか、首をくくって命を絶たなければならないとする掟がこの行にあるからだそうです。
修行達成者は、その途中で何度も死にかけたことがあると言われていて、途中でやめたら死なねばならず、やり遂げるのも命がけ、というすさまじい厳しさを垣間見ることができる。

こういうギリギリの切迫感で途中の滝行などで不動明王を見たり、真夜中の山内踏破中に鬼と遭遇する体験もあるそうです。もちろん脳内現象です。