正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

観普賢菩薩行法経の観仏法

日本に限らず修行中に仏に直接教えを請うという神秘的体験は各宗派共にあるようです。法華経には普賢菩薩行法経、観仏三昧海経、そして虚空蔵菩薩経等々にそうした体験が書かれています、順にその箇所を引用しますと、まず観普賢菩薩行法経。

★「釈迦牟尼仏及び分身の諸仏を見たてまつらんと楽(ねが)わん者、六根清浄を得んと楽わん者は当に是の観を学すべし。
此の観の功徳は諸の障碍を除いて上妙の色を見る。三昧に入らざれども但誦持するが故に、心を専らにして修習し、心心相次いで大乗を離れざること、一日より三七日に至れば普賢を見ることを得
重き障ある者は、七七日の後然して後に見ることを得、復重きことあ る者は一生に見ることを得、復重きことある者は二生に見ることを得、復(また)重きことある者は三生に見ることを得。是の如く種々に業報不同なり、是の故に異説す。」(観普賢菩薩行法経)

 

★「諸仏を見たてまつると雖も、猶お未だ了了ならず。目を閉ずれば則ち見、目を開けば則ち失う。(中略)我、何の罪あって見たてまつることを得ざると。是の語を説き已って復更に懺悔せよ。懺悔清浄なること已りなば、普賢菩薩復(また)更に現前して行・住・坐・臥に其の側を離れず。乃至夢の中にも常に為に法を説かん。」(観普賢菩薩行法経)

 

★「我業障の故に方等(大乗仏教のこと)を信ずと雖も仏を見たてまつること了(あきら)かならず。」(観普賢菩薩行法経)

普賢菩薩行法経では自らの障碍(罪障)が除かれば、観仏体験があるとして、 一心に懺悔をすることで、早ければその日から21日後には、それでも見なかったら49日後に、さらに罪障が深ければ一生、或いは次の生、或いはその次の生に業障によって見ることが叶うと説いています。

しかし観仏した人も、目を開ければ失うとありますので、瞑想座禅を専らにしていたということですね。更に懺悔を行えば、仏は常に身のそばに居て夢のなかでも法を説かれるとありますので、法華経の結経である観普賢菩薩行法経では、懺悔滅罪こそ観仏のキモ、ということを説いています。