正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

観仏三昧海経にみる観仏

そのものズバリのタイトルである『観仏三昧海経』にも仏を見る事に重点を置いた修行について以下のように説かれています。

★「我宿罪の故に仏身を見ず。何に況や法を聞くをや。(中略)仏に向いて懺悔 する時、心眼開くを得、仏の色身の端厳微妙にして、須彌山の大海に光顕す るがごときをみる。」(観仏三昧海経)

 

★「仏、諸の比丘に告げて曰く、沙門等の先世、(中略)是の罪を以ての故に、諸 仏を見ず。正法を聞かず。(中略)(比丘等)仏に向い懺悔して、五体投地すること太山の崩れるが如く、悲號し涙を雨し、仏に向いて啼哭す。是の時世尊、 軟言安慰し、諸の比丘の心に歓喜を生ぜしむ。(中略)猶風の吹きて重雲を四 散するが如く、金顔を顕発し、三十二相を炳然として見る。」(観仏三昧海経)

 

★「諸の衆生、仏の所説に依りて諸仏世尊に値遇するを得、念仏三昧を得さしむ。 三昧力の故に、諸衆生罪悪を遠離し、罪滅するを以ての故に、現に諸仏を見 るを得さしむ。」(観仏三昧海経)

 

これらに見られる共通のキーワードは、法華経の観普賢菩薩行法経と同じく修行者の「懺悔によって罪が滅除され、それによって諸仏が身を現す」ということで、懺悔して過去以来の罪障の消滅度が観仏としての実証・結果であることです。

このように「懺悔」を修行法の中核として実習・実証するのは、大乗仏教独自のものであると故・平川彰氏は指摘されています。