正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

日蓮思想にみる滅罪行為

中国や古来の日本の修行者は自身の罪障が仏と知遇出来なかったと考え、ひたすら懺悔滅罪=この世にいる仏を見ることができると考えて修行したようです。こういう修行者の態度は日蓮遺文にも見ることが出来ます。

★「かゝる事出来せば無量劫の重罪一生の内に消え(乃至)かゝる身となれば所願も満足なるべし」(呵責謗法滅罪抄)

★「上のせめさせ給にこそ法華経を信たる色もあらわれ候へ。......又 数数見擁出ととかれ て、度々失(とが) にあたりて重罪をけしてこそ佛にもなり候ははんず れば、 我と苦行をいたす事は心ゆ へなり。」(土木殿御返事)

★「當世の王臣なく(無く)は日蓮が過去謗法の重罪消し難し」(佐渡御書

★「懺悔の力に依りて生死やはな離れけむ。将又はたまた謗法の罪は重く、懺悔の力は弱くして、阿闍世王・無垢論師等のごとく地獄にや堕ちにけん」(神国王御書)

★「懺悔せる謗法の罪すら五逆罪に千倍せり。況んや懺悔せざらん謗法にをいては阿鼻地獄を出づる期かたかるべし」(顕謗法抄)

日蓮の場合は断食や穀断ちではなく、正法違背=謗法を攻める行為で相手から迫害されることによって、自らの過去の謗法罪障が消えると信じていたようですが、その理論の背景には罪有る身はそのままでは仏になれない、だから身を清める意味の謗法呵責=折伏で成仏が叶うという仕組みです。

かなり強迫観念に訴えるところがあるので、普通にやれば精神障害起こすような遺文もありますね。