正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

先祖帰りの修行

仏教徒の何が厳しい穀断ちや断食までして観仏を果たすために罪障を除こうとする意図なのか、といえば、ひたすらに成仏を願っていたようです。

心に「障碍」「業障」「罪」などがある状態では、
1:諸仏菩薩などの聖的存在を見る視覚能力が失われていること、
2:罪を滅するためには観法、三昧、懺悔などが必要で、特に懺悔が強調されていること、
3:2によって、罪が滅した、すなわち清浄化された結果として、見仏が可能となること、までの懺悔から見仏への機序はかなり古い大乗仏教の伝統の中に位置づけられる、ということだ。(法華経と苦行と滅罪・荒井しのぶ氏)

このように真剣に信じていたというから驚きですね、大乗仏教は小乗教の教えである、現身を厭う→この世は苦の集まり→だから解脱、こういう修行法を否定して出てきたはずで、中核は現世肯定であり欲望を否定しないはずですが、まったく先祖返りしています。

僧伝に描かれた 「懺悔」と「見仏」は、「罪」の<清浄化/滅罪>を軸として関連付けられてお り、上記の1-3の機序にそったものであることがわかる。

つまり、懺悔の 実践によって罪が滅し、その清浄化の証しとして見仏という神秘体験をしうると観念する思考法が、中国の仏教者達にも共有されていたことが理解される。(同書)

どこが大乗的見地なんでしょうね?