正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

塩断ちの断食

ところで、中国の断食や穀断ちには出てこない、日本特有の「塩断ち」というのがあります。なぜ「塩」を断たねばならないのか?これについて。

中国の僧伝にはあらわれず、日本の『法華験記』で頻出するようになる「断塩」の行もおそらくこれに準じて考えることができるだろう。

塩については、『乳味鈔』に「塩は諸食の味を生ぜしむる」とあるように、塩そのものは口経摂取する物に味わいを与える役割を持っていると観念されていたようである。つまり、この塩を断つという行為は、味わいという欲望(煩悩)を断つ行為であり、食摂取を純粋に生命維持の手段とのみするものと認識されていたと考えられる。

したがって、この行為が味わいという味覚に基づく煩悩を断つことに焦点をもつことを考えると、人間の六根の一つ、舌根とそれに基づく情動、心的あり方の統御、すなわち煩悩の清浄化を直裁にターゲットにしている点で、断穀からさらに一歩進んだ苦行の形態とも考えられる。(法華経と苦行と滅罪・荒井しのぶ氏)

これもまたそこまでやって人間の生存意欲や欲望を抑える修行内容だったんですね。日蓮の遺文にも「塩」の供養に触れた事があります。

★「四分律に云く一には糞掃衣・二には常乞食・三には一座食・四には常露座・五には塩及び五味を受けず等云云」(法蓮抄)

★「こんろん(崑崙)山には石なし・みのぶ(身延)のたけ(嶽)にはしを(塩)なし、石なきところには・たま(玉)よりも・いし(石)すぐれたり、しを(塩)なきところには・しを(塩)・こめ(米)にもすぐれて候、国王のたから(宝)は左右の大臣なり・左右の大臣をば塩梅と申す、みそしを(味噌・塩)・なければよわたりがたし・左右の臣なければ国をさまらず」 (南条殿御返事)

★「夫れ海辺には木を財とし山中には塩を財とす」(上野殿御返事)

塩の大事さはわかりますが、「塩及び五味を受けず等云云」 はなぜ受けないのか、きっと意味がわからなかったと思います。