正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

マゾこそ法華の醍醐味

日本の法華経修行者の難行苦行は中国にならって観仏、見仏を果さんとして穀断ちや塩断ちまでして行われたようです、また日本霊異記なども採取しながら「法華験記」に見られる先達の有様をピックアップしました。

日本において『法華経』を奉持する僧と苦行を関連づける説話は、8 世紀初めに編纂されたと考えられる日本最古の仏教説話集、『霊異記』の段階からすでに見られる。例えば、『法華経』一部を持して巡行する禅師が足に縄をかけて熊野山中の崖にぶら下がりながら『法華経』を誦しつつ死に、死後もその骸骨に残った舌で誦経を続ける話が見えている(下巻1話)。

同じ段には、吉野の金峰山でも、金剛般若経とともに『法華経』を読誦する髑髏の話が見えている。また、経典名は明記されていないものの、手の上に熾った火を置き行道する禅師のエピソードは、『法華経』薬王品をその下敷きとするものであろう(下巻36話)。

さらに、やや趣きは異なるものの、唐に留学中の道照が五百の虎に請われて新羅まで至り、その山中で『法華経』を講じたエピソードもある(法華経と苦行と滅罪・荒井しのぶ氏)

こうした山中に篭って修行する仙人か道教の道士のような形態は中国から渡ってきたようで、中国天台のメッカである天台山を中心として、生きて仏に会えないのは自己に罪縁があるためであるとして香廬峯の上から身を投げた法充(続高僧伝)、法華一部を誦経しながら、冬11月にも衣をまとわず観音懺法の行道を続ける普明(続高僧伝)、険しい山中の断崖の上で座しつつ法華誦経を続ける慧顕(同書)、法華経を誦経しながら留まることなく山嶽を巡行する僧朗(同書)など、かなり居たようです。

日蓮さんの法難を喜ぶ姿勢もこういうところから来ていますね。