正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

国策経典のアリバイ

奈良朝時代に税金逃れする私度僧の取り締まり対策として、国家僧を設けること、そしてそのための施策として戒壇が発案されたのですが、その鎮座する大仏を立てるために資金ソースとして一部の私度僧が登用されました、一番有名なのは行基です。

天平3年、行基に代表される仏教者のグループの中から部分的に得度が認められるようになり、天平5年前後からそれまで弾圧を受けていた行基ヘの評価 が180度変化し精進練行の仏行者として迎えられるのと期を一にして、極めて多 数の得度者が生み出されている。

それまで私度として民間で活動していた出家仏教者たちの多くが官許を得て、得度を受けたのがこの時期と言える。

天平 6年の太政官奏で、朝廷が設けた最低限の必須条件が『法華経』または『最勝 王経』の暗誦、および浄行三年という基準であった。

これらの仏教者が行いえた仏行の傾向性を知るため、官許を得て得度するための推薦状である『優婆塞貢進解文』をみると、『法華経』が最も多く、その70%以上の者がその読経を修得していることが伺われる。

これはすなわち、天平6年の太政官奏以降、 非常に多くの私度の沙弥、沙弥尼、優婆塞、優婆夷が『法華経』を修得して官 許を得たということを示しており、また逆に言うと、官許を得た出家者としての彼等の権威の源泉の一つが、『法華経』読誦であったと解釈できよう。(日本古代の法華経滅罪信仰の形成と民間への浸透について)

ということですね、法華経が浸透していくプロセスにはこういう土台があって、これ以降護国三部経の足場固めが着実にコンクリートされていったというわけです。

地方の国分寺や私寺、山寺などで、中央の官寺と同様に『法華経』の講読、 書写、法会が行なわれていた事も『日本霊異記』に散見される事実です。