正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

個人の法華経修行得益

国家に効験はなかった法華経ですが、個人の難行苦行には何らかの結果があったようです。法華験記で断食断穀、断塩等、食関係の苦行を行った法華経持経者の苦行の様子と効験、奇瑞を箇条書きで見ていきましょう。

◎僧・相応(葛河)→断穀、断塩、世の美味を厭う「難行苦行」→(見仏)不動明王が見える/(法華経誦経の善根により)慈尊(弥勒菩薩)が見える。→(験力/奇瑞)鳥を落とし、大樹を縄にする、暴流を逆流させ、雨を晴天にする。

◎応照 (熊野奈智山の住僧)→断穀、断塩、不食甘味、松を膳とし、風水を服す。 内外の不浄を清める。→(験力/奇瑞)身体が灰になっても誦経の声絶えず、沈壇の香り、名も知らず見たこともない多くの鳥が集まる。

◎仁鏡(東大寺の僧/愛太子山(愛宕山))→一盃の粥で三-四日、一盃の茶で数日の夜/六時に懺悔の方法を修行。→(見仏)師子常に来て慣れ親しみ、白象来て宿直する。→(験力/奇瑞)火を持つ手臂が闇にあらわれ、 水瓶に水が自然に満ちる。

(法華験記:法華経持経者の修行内容、効験)

まだありますが、なんだかアラビアンナイトの御伽話みたいですね。で、法華経を誦する方々ですが、やはり山にこもって色々断食など、苦行をしていたようです。

金峰山に関わる法華経持経者は陽勝をはじめとして『法華験記』に数多く記されて いることから、この地が法華経奉持者の一つのターミナルとして存在していたこと が想定できるが、ここに参詣した在俗の人々も『法華経』に関わる行を行うことが多かった。
その代表的な例は、藤原道長金峰山において行った『法華経』を中心 とする経典の埋経であろう(1007年)。

また、熊野について言えば、先に記し た『霊異記』下巻第1話の『法華経』を誦持する捨身の行者、また『三宝絵詞』に記されている、「熊野八講」とよばれる法華八講、また『験記』に記される、熊野三山の一つ那智山の住僧で焼身供養を遂げた応照(ただし、現在応照の火定跡が遺されているのは、那智権現の奥の院とされる妙法山。唐の天台山からやってきたと いう僧侶蓮寂がこの山の頂上に『法華経』を埋経したと伝えられている。)など、 熊野、特に那智山は古代から法華経持経者が集まり山岳修行を行う聖地として考えられてきた。
また、この那智山は「那智懺法」で知られるように、法華懺法会の霊場でもあった。滅罪の執行を役割とする懺法僧が御経供養を巡礼者のために行っていたという。(「修明門院熊野御幸記」「熊野詣日記」『神道大系(文学篇)』102 頁、249頁)「江都督納言願文集」には白川院の皇女である郁芳門院の病気平癒 と長寿(除病延命)を願って書かれた願文が納められているが、ここには皇女自ら が『法華経』三部を書写したこと、そして病気の皇女のために使僧が代わりに熊野の三所権現に奉納する旨がしたためられている。
さらに、この那智山の滝本近くの 金経門周辺に平安から室町に及んで造成された非常に多くの経塚があり、『法華経』も多く埋経された。中世以降近世にかけて、盛んになってゆく法華経納経の巡礼行者、六十六部もこの那智山に訪れて納経を行った。(山岳修行と法華経

のちの日蓮などの日本が法華経有縁の国だという地盤が出来上がっていきますね。