正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

カルトの雛形・法華験記

法華経が滅罪の経典であることの浸透は、逆に自らと他人を比較して、現在の姿や境遇の差異に気がつくことでも有りました。いままでこんなもんだと思っていたことが、それが過去からの続きであると知らされたことは、幸か不幸か、微妙ですけどね。

仏教的因果論の系統を引くものに 「宿世」の観念がある。当時貴族社会 にお いて この観念が 一般化していたことは 「源氏物語」その他から明らかであ るが、 その思想的特徴 はひとまず次のように捉えられよう

すなわち、ここでは因果の理は、現に生起しつつある現前の事象、特に幸・不幸 のに対する一つの合理的解釈の論理として用いられている。過去世の業は、 現在の境遇をしかあらしめたものとしてのみ想起され、それは結果として現在の境遇をもはや動かしがたい定めとして享受する退嬰的な諦めの運命観に陥らざるをえない。

従って宿世を思うことは人々に己が罪業に目覚めさせ、宗教的発心への道を開くことからは隔っていると言わなければならない。(法華験記の罪業観・中尾正己氏)

ここからの脱出を「成仏」というキーワードが背負っているわけですが、これが難行苦行に駆り立てるのであれば、限られた人しか出来ないわけで、これもまた小乗教と侮蔑した教えに逆戻りするジレンマに陥るわけです。 

「験記」に収載された多くの説話からは、これらとはむしろ対照的な傾向が見出 される。一つのパターンとして己の前身を知るという類の説話群がある。例えば第二四・頼真法師は言語を発する時口が 「虚(うつ)けて哨(ゆが)」むのは前生鼻の欠けた牛であったためであることを夢告で知り、恥じ責めて法華の読誦に努めた。(法華験記の罪業観・中尾正己氏)

こうして法華験記に収められた逸話は、信仰に目覚めたものを前生の宿業に対する深刻な意識と、後世の報に対する恐怖、そしてその克服のための修道がその主題 であることを否応なしに突きつけられていくわけです。(カルトの発祥ですね)