正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

政治と宗教の一致

日本霊異記や法華験記の仏教説話と当時の政府の思惑を勘案しながら狩猟していきますと、東北方面の説話はなかなか興味深い話が拾えます。

日本霊異記』(下巻・第二十二)小県郡跡部郷(『和名類聚抄』)の富豪層の他田舎人蝦夷が、銭や稲の出挙経営を行って富を蓄えるとともに、法華経書写をたびたび行っている。

出挙の秤量をごまかし利益を挙げたことで冥界に行くが、写経の善行によって甦ったという話。

 この分中の小県郡跡部郷とは、信濃国(長野県)小県郡辺りのことで、注目は「他田舎人蝦夷」と書いて要するに先住民ですね。その人が税金をごまかして富を蓄えたのですが、ある事故で亡くなって冥界に行かなくてはなりませんが、法華経写経の功徳で生き返ったというものです。

当時の朝廷から見て東の国(近畿からみて)は夷狄といわれる蛮族が住み、この人達が朝廷の意向に従わないのでチカラではなく、文化的征服に仏教が加担します。

そういう所に最澄などが平安期に出て、東国政策に二人三脚して次々と天台宗の寺を建てていくのですが、奈良時代から先に伸長していた法相宗が政府の政策に異を唱える立場であったので、やがて仏教論争が起きるという筋書きです。

天台宗を確立して南都仏教に対抗しようとする最澄にとって、法相宗の理論家である徳一を説き伏せることは、天台宗南都六宗への優位を示すことにも繋がるため、より攻撃的になったと、現代法相宗派の学者は考えている。

宮原武夫氏(1933年-)は最澄と徳一の論争がここまで大きくなったのは、最澄が当時の朝廷が進めていた蝦夷征討に徳一が「非協力」的とみなしていた政治的問題にあったとする説を唱えている。(平安時代における祈りの空間 武蔵国分寺)

日蓮が言うような法華経が国を治めるという背景には、こういうドロドロがあるんですね。いわば当時蛮族が跋扈していた東北方面を全国制覇を目指す政治と宗教の一致です。