正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

かなり違う解釈の例

仏法が最も重視するのは意業である、という実例と解説を柏木寧子氏の論説から引用します。

雑念なく集中した心が何事か思念するなら、それがただ一刹那、一回限りの生・滅で途絶えたとしても、後に計り知れない潜勢力を残すと見る。心を集中・統一して発す願は、善悪いずれの内容であれ、また、他者との関係性の希求のように、それ自体善悪いずれともつかない内容であれ、いつか成就の機がめぐって来る。

魚の例では殺した者が「無数劫の中に地獄に堕(おち)て苦を受」けた後「適(たまた)ま人と生れ」たその生に、魚もまた人として生まれ、報復を遂げる。

牛の例では、殺したよりうち三十二人の男たちは「牛を殺せるに依て、五百世の中(うち)に常に殺さ」れ、肉を貪食・堪能した老女は「歓喜し故に、五百世の間常に母と成て、子の殺るるを見いだて悲みを懐」き、母子として結ばれながら受苦を重ねる(p.176)。殺した者は殺され、殺しに喜んだ者は殺しに悲しむ者となり、かつて報復の願を発した者は、殺し悲しませる側となって我知らず願を成就する。

「五百世」もの反復回数は、単に殺生の業のみならず、発願の業の重さをも示していよう。(柏木寧子氏・『今昔物語集』天竺部における釈迦仏ならびに衆生の理解)

こういうのが印度からの仏教の因縁譚として伝わっていたのですが、段々と教団の思惑が加味されて捻じ曲げられていきます。典型的なのはこういうことですね。

過去世に於ける様々な罪(五逆罪・十悪)で形成された悪業は正法の功徳力により消し去ることが可能です。また、現世に於ける悪事(人殺しも含む煩悩によって犯した世間的な罪など)で形成された悪業もこの正法によって消滅することが可能です。

もちろん、だからといって現世に於いて悪事を働けばそれ相応の処罰を受けなければならないですし、犯してよい訳ではありません。しかし正法に帰依するならばそれほどの重い罪で作った罪障(悪業)も消し去るだけの力はあるということなのです。(日蓮系サイト) 

こんなインスタント消滅が出来ると信じている人が、ままいるのですが、この教団からどれだけ分派が発生したことか、それ自体が過去の因業と気がつかないようですww