正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

問題は「怨の心」

今昔物語には釈迦が苦を生起させる原因の話が出てくる場面があります。

 

この根元的無知ならびに無知ゆえの苦が衆生の存在の真相である、と仏法は見る。

苦を受けながら苦の生起する因を知らず、と もすれば苦を苦しんでいる現実にさえ目を開くことなく、苦に苦を重ねて終わりがないのが衆生のありのままである。

衆生が苦の構造から脱け出る可能性は、仏法の知の働きとともに開かれる。 衆生は各々固有の因縁物語を生きつつあるものとして、固有の存在の質をもっている。釈迦仏と出合った衆生がその知の眼差に照らされ、暗がりに沈んでいた存在のほんの一端であれ、正しく見ることができたなら、苦の構造は解け始はめる。

牛の例の場合、転生した牛、現在の波斯匿王(はしのくおう)により殺されたかつての怨敵三十二人、現在の王子三十二人の遺族たちが、一旦嵌(はま)りかけた苦の構造から知の力を以て免れ得たさまが描かれる。( 柏木寧子氏・『今昔物語集』天竺部における釈迦仏ならびに衆生の理解)

このお話ではその怒りの心を各人が認めて瞋恚を発すこと怒りの生起の虚しさ・愚かしさを感じて自らの「怨の心」は自ずから滅んだとあります。

日蓮が立宗した当時の敵とみなした浄土宗・法然の出家動機は種々言われていますが、こういう説もあったようです。

『四十八巻伝』(勅伝)などによれば、保延7年(1141年)9歳のとき、土地争論に関連し、明石源内武者貞明が父に夜討をしかけて殺害してしまうが、その際の父の今わの際(きわ)に、

「おまえは武士の子ゆえ、敵を討とうと思うであろうが、そうすれば今度は彼の子がお前を敵と狙うであろう。怨(うら)みは新たな怨みを呼ぶだけだ。それよりも出家して、父の菩提(ぼだい)を弔ってくれるとともに、誰もが平等に救われていく道を求めてほしい。」と、息子の勢至丸(後の法然)に遺言したことが出家の動機です。

これが伝説だとしても後世の人に語りかける、なかなか物語ですね。