正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

どちらが仏教?

先に引用した今昔物語の解説を元として、鎌倉意時代の日蓮が各遺文でよく引用する大乗涅槃経と比べてみましょう。

大般涅槃経

◎「異端の教えを説く婆羅門が大乗の教えをそしるのを聞いて、ただちにその者の命を断ってしまった 。しかし、正しい教えを護ったこの功徳によって、それから後は地獄に堕ちることはなかった」(涅槃経・聖行品より)
◎「この禿人(破戒堕俗の僧)たちは正法を護る者を見ては追放し、殺したり、迫害したりするであろう。だから、私は戒律を持つ出家層が、武器を持った在家のものといっしょになって正法を護ることを許すのである。武器を持っていても戒を持つと同じである」(涅槃経・金剛身品より)

◎「不殺生戒と申すは、是の如き重戒なれども、法華経の敵になれば、此れを害するは第一の功徳と説き給う也。」(日蓮・秋元御書)

この考えに対して平安時代末期に成立したと言われる仏教説話の内容は、殺生すら功徳になるという教えではなく、恨む心の喜捨を勧めるものです。

「一度発された報復の願は、後に機を得て成就する。心に願を発したりそれを誓言したりした過去生の行為が因となり、未来生にその実現という果を受ける。
およそ行為をなせば潜勢力が残り、遅かれ早かれ行為者の上に果が現出すると見るのが仏法の業の観念であり、善因楽果・悪因苦果の因果応報が説かれる。」

「殺した者は殺され、殺しに喜んだ者は殺しに悲しむ者となり、かつて報復の願を発した者 は、殺し悲しませる側となって我知らず願を成就する。「五百世」もの反復回数は、単に殺生の業のみならず、発願の業の重さをも示していよう。」(柏木寧子氏・『今昔物語集』天竺部における釈迦仏ならびに衆生の理解)

時代は遥かに平安時代のほうが古いのですが、涅槃経に説かれた悪魔のささやきとも言える教えには違和感があり、今昔物語の説話のほうが実に速やかに心に入ってきます。