正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

法華経に一族滅亡なし

この釈迦一族の滅亡が法華経に関係するのは釈尊がメーダルンパにおいて波斯匿王と会見されたのは釈尊が77歳=成道43年目の雨安居前(古代中国暦で4月ころ)のことになるということです。

そして釈迦の入滅と一族のその後については以下のようです。

よく知られるように釈尊入滅後の葬儀において釈迦族は舎利の分割を受けて仏塔を造立したとされているから 、釈尊入滅時にも釈迦族が存在したことは確実であるし、比較的史実に近いものを伝えるパーリの原始聖典や漢訳の『長阿含』『中阿含』『雑阿含』『別訳雑阿 含』 にこの伝承がなく、さらに仏伝経典にすらこれがないというのは、釈尊の晩年に釈迦国とコーサラ国の間に武力衝突があったけれども、それほど大きなものではなかったので、これを記さない文献と、それを大袈裟に誇張した文献の 2 つに分かれたのではなかろうか。(森章司氏)

 ということで釈迦一族の逢難については仏典関係で記述のあるものは以下です。

★漢訳の場合
毘流離(『増一阿含』)
琉璃(『四分律』『五分律』『出曜経』『法句譬喩経』『仏説瑠璃王経』)
流離(『増一阿含』『十誦律』『僧祇律』『出曜経』)
悪生(『根本有部律』)
維楼勒(『義足経』)
維楼黎(『仏説瑠璃王経』)
毘楼勒(『興起行経』)
随楼勒(『仏五百弟子自説本起経』)
毘盧択迦(『大唐西域記』)

 

肝心の最後の八年で説いたと言われる法華経には全くその記述もないというのが、やっぱり嘘くさい経典の証拠です。