正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

さらに、こういうの。

日蓮本仏圏では、法華経は過去の遺物で末法には役に立たないと豪語しています、有名な日蓮遺文の「今末法に入りぬりば余経も法華経もせん(詮)なし但南無妙法蓮華経なるべし(上野殿御返事)」ですね。末法釈尊の教えでは成仏できない時代です。末法の仏法の弘通は上行菩薩に託されています。と言い切る団体がいますけど、ところが、こう言い切るかと思えば日蓮さんはこうも言います。

「何にしてか申し初めけん上行菩薩の出現して弘めさせ給うべき妙法蓮華経の五字を先立てねごとの様に心にもあらず南無妙法蓮華経と申し初て候し程に唱うる者なり、所詮よき事にや候らん又悪き事にや侍るらん我もしらず人もわきまへがたきか」(妙密上人御消息)

現代文だと「どのような事で言いはじめたのであろうか。上行菩薩が出現して弘められるはずの妙法蓮華経の五字を、先立って寝言のように心なく南無妙法連華経と唱えだした者である。しょせん、よいことであるのか、悪いことであるのか、われも知らず、人もわきまえがたいのである。」

なにか自信がなさ気ですけど、でも実は題目を唱えるというのは鎌倉時代日蓮が始めてではなく、平安時代から行われていたことです。

菅原道真が元慶五年(881)八月二十一日に草した『吉祥院法花願文』の末尾
「南無観世音菩薩・南無妙法蓮華経・如所説如所誓弟子考妣速証大菩提果無辺功徳无(無)量善根普法界皆共利益……」 

とあって、この時も法華経の観世音菩薩と題目を説のごとく誓えば大菩提(悟り)を速やかに証してこの善根は遍く世界に、とあの大宰府に送られた道真公が願文で結構なことが書かれています。