正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

一番病

華厳経巻十夜摩天宮菩薩説偈品の「心・仏及び衆生、是の三、差別無し」旧訳では『六十華厳』の詩句の一節です。

 

この意味は、私達は得てして仏とは、我ら凡夫から隔絶した遠い存在、もしくは特別な存在だと思いがちですが、そうではなくて、仏は本来は衆生なのです。ということかと思います。

 

この文章をそのまま天台大師は『摩訶止観』巻五上で、この詩句を引用して、彼の有名な「一念三千の法門」の依文としています。つまり天台教学の基礎の確立には、この詩句に説かれる心と仏と衆生の一体観が大きく影響したということですね。

ところがこれを本家はこちらだという人が日蓮ですね。

華厳宗真言宗とは本は権経権宗なり。善無畏三蔵・金剛智三蔵、天台の一念三千の義を盗みとって自宗の肝心とし、其の上に印と真言とを加へて超過の心ををこす。其の子細をしらぬ学者等は、天竺より大日経に一念三千の法門ありけりとうちをもう(思う)。」(開目抄・文永九年)

 なんでも本家はこちらだ、一番病なんですが、元々華厳経は一即多という思想を各所に説いていますが、この世も法界さえも、同じく唯心とするならば、一法として捨てるべきものもなければ取るべきものもない。


つまりすべてのものは、唯心の所産であって、一心即万法、万法即一心だから、ここには自もなければ他もない。ということを「心・仏及び衆生、是の三、差別無し」とも言ったわけです。この思想を敷衍したものが一念三千へと影響したわけです。