正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

高野にも妙法蓮華経

諸宗遊学の日蓮さんが高野山真言を学んだと言われているのが五坊寂静院。
妙法蓮華経の五字を冠にした「妙智坊」「法智坊」「蓮智坊」「華智坊」「経智坊」の五坊があったそうです。山内の坊ですからお寺ではなく信者や僧侶が泊まるための宿坊です。ウィキペディアによれば

寺伝によると「妙法蓮華経」に因む、妙智坊・法智坊・蓮智坊・華智坊・経智坊という宿坊があり、これらを一心院としたのが明寂上人であるという。その後、行勝上人が相伝し、貞暁上人が五坊寂静院と改称したという。後醍醐天皇後村上天皇後土御門天皇後柏原天皇などの歴代天皇より綸旨を賜り、勅願寺となった。平安時代以降、高野山を構成した高野三方の学侶方に属し、相当な有力寺院であった。

◎1198年(建久9年)八条女院は、不動堂・八大童子像・不動明王像を寄進する。
◎1223年(貞応2年)貞暁上人は、伽藍を再建し、五坊寂静院と改称する。
◎1248年(宝治2年)日蓮が遊学する。(ウィキペディア・五坊寂静院)

この妙法蓮華経の五つの坊があったということは、日蓮さんが題目創唱する前に既に真言宗ではそういう概念があったということですね。四坊ははやくに廃れて経智坊のみ残り、その後に寂静院と改称になったそうです。
五坊寂静院には、「日蓮聖人遊学の遺跡」と書かれた石碑があるそうです。

それもそのはずで空海さんは晩年に『法華経釈』という法華経密教的解釈論を書きおろしており、「顕教をも外教として学べ」として御遺訓九箇条に(密ヲ以テ内ト為シ顕ヲ以テ外ト為シ、必ズ兼学スベシ。コレニ因ツテ本宗ヲ軽ンジ、末学ヲ重ンズルコト勿レ」末弟に残しております。