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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

なんだかな〜

いまでは北伝仏教(中国や日本に渡ってきた大乗)と南伝仏教スリランカやタイ、ジャワなど)のことを含めて大きく仏教といいますが、日蓮さんの時代には大乗仏教こそが釈迦の本意と考えられていたそうです。

小乗と蔑視された仏教には目もくれずに、中国経由で歪んだ仏教をホンモノと信じていたので日蓮仏教(主に日蓮本仏圏)のような変なものが出てくる事になったようです。

何がおかしいか?まず釈迦の十大弟子と言われる人達が題目唱えて成仏したとする日蓮遺文は、南伝系では大笑いされています。

◎「菩薩は修行中だとはっきり言っていますから、・・・ 「菩薩」と言った時点で、悟っていない一般人です。サーリプッタ尊者は阿羅漢ですから、とっくに悟っています。阿羅漢は菩薩の先生」(A・スマナサーラ・般若心経は間違い?)

◎パーリ経典にも、サーリプッタ尊者がお釈迦さまに代わって説かれた経典がたくさん残されています。それだけに、あとから出てきてお釈迦さまの教えにケチをつけようとした大乗仏教では、サーリプッタ尊者をなんとかおとしめようと励みました。

◎それまでの伝統的仏教(大乗からみると「小乗」仏教)の代表者として、菩薩たちの奇をてらった言説に翻弄される狂言回しのような役回りをさせられることになったのです。その代表的な作品が『維摩経』です。(A・スマナサーラ・般若心経は間違い?)

ところが大乗、特に日蓮本仏圏では阿羅漢というのは、小さな悟りに拘った人々とされているので、阿羅漢の定義が二乗という菩薩界の下に置かれて低い境涯となっているようです。

そんな阿羅漢は怒りを封じた悟りを持った方々(笑)なんですが、シャーンティデーヴァ(南インド出身のインド仏教中観派の僧侶・寂天、650~700頃)師もこのようなことを残されています。

1.千劫の時をかけて積み重ねた布施を始めとする善行や如来への供物も、 たった一瞬の怒りを生じたことで微塵に砕け散る。

2.怒りほど重い罪はなく、 また忍耐ほど苦しい修行はない。
それゆえに、たえずさまざまな方法で忍耐を体に染み込ませよ。

3.怒りという苦しみにさいなまれる者は心の平安を得ることができない。
すべての喜びと無縁になって、眠ることも安らぐこともできない。(『入菩薩行論』第6章「忍耐」より)

この方は中観派の僧侶ですから、龍樹菩薩の流れの人ですね、日蓮さんの遺文に見られる怒りの発言日蓮は一閻浮提(全世界)第一の聖人なり。上一人より下万民に至るまで、之を軽毀して刀杖を加え流罪に処するが故に、梵と釈と日月・四天、隣国に仰せ付けて之を逼責するなり」は大乗圏でもダメダメのようです。