正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

小乗は低い教え?

大乗仏教では上座部(長老達が守ってきた仏教)と一線を画するために敢えて阿羅漢を二乗(声聞・縁覚)と位置づけ菩薩をその上に置くことで、差異化した。

 

その理由を衆生済度に赴かず自己の悟りを追求して楽しむだけとしているが、実際的には比叡山高野山でも大乗仏教の教団のほうが山にこもって民衆と乖離した貴族仏教化していた。

 

日本を含む東アジアに広まった大乗仏教では上座部仏教とは異なり釈迦が定めた戒律の物品の所有を禁止しておらず、その結果として寺院が寄進された荘園等を運営し、その小作料等で寺院を維持する事が可能となったため、維持を目的とした托鉢を行う必要がなくなったからである。

【阿 羅 漢】:原語はアルハットarhatで、元来は「世の人々の尊敬を受けるに値する者《の意である。 漢訳仏典では、一般に「阿羅漢《と音写される。小乗仏教においては「最高のさとりを得た者《を意味し、修行する者の 最高の理想とされ、従ってアルハットは仏教の僧としての修行の理想の段階である。

また、如来(タターガタ)の十号 (十種の尊称)の一つで、その場合は仏に対する尊称である。なお、漢訳仏典に於いては、阿羅漢に三義があるとして、 応供・上生・殺賊の三つを挙げるが、「応供《は「供養を受けるに相応しい者《の意で、arhatの原義を一応表している としても、「上生《は「さとりの世界に入って再び迷いの世界に生を受けない《という意味であり、「殺賊《に至っては arhanの語源をari-han(「敵を殺す者《の意)とし、「煩悩という賊敵を殺した者《と解した牽強付会の説であり、いずれも 原語の意味に即したものではない。(現代語訳法華経・用語訳・岩本裕氏) 

現在でも長老たちも含めて托鉢などを行う上座部仏教では人々とは関わることが少ない出家者と、町村で生活している信者との間に托鉢による交流関係が発生しているので山に篭ったままということはない。

 

托鉢は毎朝行われ、教団に持ち帰ったそれらの食物は担当者によって全員に平等に分配される。『法句経』には、バラモンが托鉢に来た釈迦に論戦を挑んで逆に感化され、在家信者となった逸話が収録されている。