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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

釈迦から大乗、日蓮までの悟りのまとめ

釈迦がインドで出家した時、衆生の多くは人間世界のこの世が、

真理は無常であるのに、本来は常と見て
世の中は苦に満ちているのに、本来は楽と考え
人間本位の自我は無我であるのに、本来は内奥に我があると考え
肉体など不浄なものを、本来は浄らかだと思う

と見なしていた。これを四顛倒(してんどう、さかさまな見方)という。 釈迦は成道した直後にまずこの四顛倒をただし、この世は無常・苦・無我・不浄であると説いた。

無常・苦・無我は仏教の教えの中でも重要で、四念処の実践で得られる「悟り」とは、「無常・苦・無我」を悟ることです。いわば、無常・苦・無我は悟りの内容そのものになってきます。

これが諸行無常一切皆苦諸法無我三法印となって仏教の基礎となっています。

ところが大乗の『涅槃経』に至って、如来は入滅してもこの世に常住し、涅槃こそ真の楽であり、人間我を超えた所に如来我(仏性)があり、浄らかであると説いた、とされている。つまり常楽我浄です。

常 - 仏や涅槃の境涯は、常住で永遠に不滅不変である
楽 - 仏や涅槃の境涯は、人間の苦を離れたところに真の安楽がある
我 - 仏や涅槃の境涯は、人間本位の自我を離れ、如来我(仏性)がある
浄 - 仏や涅槃の境涯は、煩悩を離れ浄化された清浄な世界である

釈迦の原始(上座部仏教ではインドの外道の教え(常楽我浄)を否定して、四念処観を修して悟りへと向かいました、ところが大乗はこれをさらに否定して元の外道の教えである常楽我浄へと戻してしまいました。つまり釈迦出現以前のインド古来の伝統的な世界観を復活させたのです。

さらに日蓮系ではこう説きます。

「生死の当体不生不滅とさとるより外に生死即涅槃はなきなり」(四条金吾殿御返事・煩悩即菩提御書)

欲望や煩悩を消しさるのではなく、九界即十界、十界互具の凡夫の身のまま煩悩即菩提するのが法華経の智慧といいますが、それは根源に梵を認める実有論を再解釈しただけで、日蓮本仏論者はこの説を支持すれば、涅槃経で釈迦がメッシたのではなく永遠に衆生済度に慈悲を垂れる如来常住」、寿量品にある経文「常住此説法」をも否定して日蓮を建てる大矛盾に陥ります。