正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

日蓮法難の裏事情

鎌倉時代に多くの優秀な僧侶を相手に戦ったというのですが、どうも終生極楽寺良観に絞って喧嘩をふっかけていたようです。ところが当の良観は喧嘩は買わなかったようです。

『池上の日蓮、しばしば悪言を出して (忍)性を謗りて以って律国賊と為す。
(忍)性は意に介せず、其(日蓮)の罪に陥るに及んで却って宥(減刑)を平師(北条時宗)に乞う』(本朝高僧伝)

 という資料が残っています、良観に命を助けられたという裏付けは日蓮の遺文にも残っています。

「殺罪に申し行われ候しが、いかが候けむ。死罪を止て佐渡の島まで遠流せられ候ひしは良観上人の所行に候はずや」(頼基陳状・建治三年:日興写本)

建治年間ですから身延に居た時です、昔を振り返って残したのでしょう、こういう遺文を精査もせずに良観のことを罵っている信者が多いのも呆れますけど。法難だと騒いだことも、ホントは御成敗式目の悪口の罪で財産があれば没収、なければ流罪と御成敗式目に定めてある事に触れたからですね。 

斬首は強盗と放火に触れたから日蓮が言うように仏法の故にではないです。 日蓮が斬首されるはずだったと主張するのは日蓮が直接ではなくとも一党が、強盗と放火を働いたと認めることになります。 鎌倉幕府はこうした行為に式目に定めた法律履行で政権の安定を再々に図ったということができます。

◎度々あだをなさるれば、力をよばず山林にまじはり候ひぬ。『上野殿御返事』
◎去年かまくら(鎌倉)より此ところへ(身延)にげ入り候。『高橋入道殿御返事』

何をか言わんや、という文面ですね。