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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

題目の呪文化

経題=題目の意味をずらしたのと、もう一つあるのが題目のマントラ(呪文)化ですね。いわゆる真言宗真言(マントラ・呪文)に対抗したという意図があります。

これは題目を本尊にするときにどうしても経題意図だけではパワーがないので、密教のマントラ的意味を付加したんでしょうね。

◎「其の上法華経には「為説実相印」と説いて合掌の印之有り、譬喩品には「我が此の法印世間を利益せんと欲するが為の故に説く」云云、此等の文如何只広略の異あるか、又舌相の言語皆是れ真言なり」 (真言見聞)

◎「法華経の題目は過去に十万億の生身の仏に値ひ奉つて功徳を成就する人・初めて妙法蓮華経の五字の名を聞き始めて信を致すなり、諸仏の名号は外道・諸天・二乗・菩薩の名号にあはすれば瓦礫と如意宝珠の如くなれども 法華経の題目に対すれば又瓦礫と如意宝珠との如し」(法華真言勝劣事)

◎「此の真言は、南天竺の鉄塔の中の法華経の肝心の真言なり。此の真言の中に、薩哩達磨と申すは正法なり。薩と申すは正なり。正は妙なり。妙は正なり。正法華、妙法華是なり。又妙法蓮華経の上に、南無の二字ををけり。南無妙法蓮華経これなり」(開目抄)

代表的な遺文を晒しましたが、法華経には陀羅尼品に法華陀羅尼があるし、他にも神咒はあるのですが、にもかかわらず其れを取り上げないでわざわざ法華経の題目ですからね。

それはやはり題目を呪文化することで本尊に結びつけようとしたんでしょう、でも経題は経題ですからね、いくら頑張ってもマントラには成り得ません。南無大般涅槃経といったところで、涅槃経に帰依していますがせいぜいの意味です。それは般若経も同じで妙法蓮華経が本尊になるのなら、同じ法華系の正法華経も可能でしょう。

南無正法華経で本尊化出来るかといえば、それはやはり不可能でしょうね・・(笑)