正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

戒もいい加減なのに、戒壇?

正宗のほんわかした戒については、前回前々回で記したとおりですが、そのあやふやな上に戒壇を設けるってのが、笑い話ですね。

そもそも開祖が叡山で授戒記録さえなく、ひょっとするとこの末法方円戒もデタラメ感が漂ってます。

その証拠に六老僧の殆どが戒という意識すらなく、日昭は弟子を叡山(迹門戒壇)に派遣しています。これは通用手形みたいなものですから正式僧侶の認可を得るためだと思われますが、他の日朗、日頂、日持、日向などは法華経を信じる=受持即持戒だったようで日興に至っても本門戒ということは云いますが、具体的なものはなかったようです。

★「爾前の十界の人法華経に来至すれば皆持戒なり、故に法華経に云く『是を持戒と名く』文、安然和尚(あんねんわじょう)の広釈に云く『法華に云く能く法華を説く是を持戒と名く』文、爾前経の如く師に随つて、戒を持せず但此の経を信ずるが即ち持戒なり」(十法界明因果抄)

★「頭に南無妙法蓮華経を頂戴(ちょうだい)し奉る時名字即なり」(御義口伝・偽書

★「受持即受戒なり、経に云く是を持戒と名く」(日興・三大秘法口決:富士宗学要集)

★「本尊等、願の事。之れ有るにおいては、遠慮なく申し遣(つかう)べし(中略)たとへ授戒候とも、本尊なくば別して力も有るまじく候」(日寛・福原式治状)

★「大聖の御遺文のなかでも、問題未決ともいうべきが、最蓮房の塚原授戒の例はさらに一文も他にない。晩年期の三大秘法抄の文を味わってみても、将来の理想であって、現実ではおそらくあるまい。いわんや、開山在富五十年にも、公式の受戒は戒壇建立以前なれば、佐渡のごとく仮壇を設くるまでなく、一回も、半回も実現せられず、日順雑集各文もなかにもそれらしい筆は見えず。」(富士日興上人詳伝・堀日亨) 

 こういう支離滅裂な戒の状態なのに、国立戒壇だとか、本門戒壇だとか?それを実現して何をするんでしょうね?