正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

日蓮の戒壇思想:6

末法には煩瑣な戒は不必要で法華経を持つ、受持即持戒こそが戒であるとした遺文は多いのですが、急に戒を下す壇の必要性を説くことは非常に不可解な論旨です。

戒壇の戒とは、三学、六波羅蜜の一つであって、消極的には防非止悪、積極的には諸善発生の根本を意味するから、それは仏教道徳を総称していたのである。

次に戒壇の壇とは、戒を受持する式場のことである。このようなものとしての戒壇を、仏陀時代に接至比丘がはじめて祇園精舎に建立し、シナでは、曹魏の嘉平、正元の頃すなわち三世紀中葉、曇枸迦羅が洛陽にそれを建て、流行したのは唐代南山律宗の祖適宜(595~667)の時代からといわれる。

日本では、天平勝宝6(754)年、鑑真の来朝に当り、東大寺盧舎那仏殿の前に、同年4月、戒壇を建て、天皇上皇など沙弥440余人が受戒したのが始まりとみなされる。

東大寺戒壇は、下野薬師寺戒壇筑前太宰府観世音寺戒壇と合わせて、本朝三戒壇とよばれ、そこではともに四分律による授戒が行なわれた。その後、嵯峨天皇時代には最澄の遺志により、叡山に大乗戒を授ける円頓戒壇が建てられ、白河天皇時代には三井寺に三摩耶戒壇が作られた。(戸頃重基氏・本門戒壇の思想と行動)

これらは戒と壇についてのサマリーですが、日本においては妻帯や破戒については実質無視されていたのに、戒の実践を否定しもっぱら儀式的や国家の僧侶管理の背景を持った壇の在り方だけにとらわれてきたことは最初から大きな矛盾をはらんでいます。

日蓮戒壇発想も国主に働きかけて建築するという志向があるとすれば、小乗戒壇、迹門戒壇だと下した前代と同じ轍をはらんだ戒壇志向といえますね。