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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

ジャイナ教と日蓮教

日蓮が自らのみならず、信者や弟子に要求する苦行のマゾ度数はかなり高いのですが、どうもその罪障観は仏教というよりも釈迦の生きた時代のジャイナ教に近いですね。日蓮さんの遺文に見る業や罪障の代表的なの見てみます。

◎「日蓮も又、かくせめらるゝも先業(せんごう)なにきあらず。不軽品に云はく『其罪畢已(ございひっち)』等云々。不軽菩薩の無量の謗法の者に罵言(めり)打擲(ちょうちゃく)せらりしも、先業の所感なるべし。(中略)我今度の御勘気(ごかんき)は、世間の失(とが)一分もなし。偏(ひとえに)に、先業の重罪を今生に消して、後生の三悪を脱れんずるなるべし」(佐渡御書・真蹟なし)

◎「我が身は過去の謗法の者なりける事、疑ひ給(たも)ふことなかれ」(兄弟抄)

日蓮此の業障(ごうしょう)をけしはてて、未来は霊山浄土(りょうぜんじょうど)にまいるべしとおもへば、種種の大難雨のごとくふり、雲のごとくにわき候へども、法華経の御故なれば」(四条金吾殿御書・別名盂蘭盆由来御書)

 こういう命に過去のカルマ(過去の業障・正法誹謗)が実体として付着し、今世に機能するために、人は魂が不自由となり、カルマの拘束を受けて現世では報われず、また来世も苦海に輪廻転生するという発想はジャイナ教などがよく説いた教説です。

対して釈迦はどうでしたでしょう、ダンマパダにはこういうバラモンとの対話が仏典に残っています。

「あなた方は、苦の原因をカルマといいますが、そのカルマを見たことがあるのですか?」
「いいえ」
「全く見たことが無いのに、どうして苦の原因(カルマ)を無くすことができるのですか?」
「(一同沈黙)」

どうやらこの対話を参考にすると、末法の御本仏・日蓮さんはカルマを見たようです(笑)