正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

御本仏のたわごと

前回は現実認識できていない、妄想の遺文を見ましたが、今回は佐渡に送られる前のまだ元気だった頃の49歳の日蓮さんのご認識を上げてみたいと思います。

日蓮安房国東条片海の石中(いそなか)の賎民が子なり。威徳なく、有徳のものにあらず。なにゝつけてか、南都北嶺(なんとほくれい)のとゞめがたき天子虎牙(こが)の制止に叶はざる念仏をふせぐ(防ぐ)ベきとは思へども、経文を亀鏡と定め、天台伝教の指南を手ににぎり(握り)て、建長五年より今年文永七年に至るまで、十七年が間是を責めたるに、日本国の念仏大体留まり了んぬ。
眼前に是見えたり。又口にすてぬ(捨てぬ)人々はあれども、心計りは念仏は生死をはなるゝ道にはあらざりけると思ふ。」(文永七年・善無畏三蔵抄)

この遺文は善無畏三蔵という真言宗の伝法の師に連なる善無畏三蔵のことを歴史上の事実にそぐわない架空話で誹謗している遺文ですが、これをまともに信じている信者も多いですね。

それはともかく、今回は浄土宗の事が書かれています。それに依りますと「建長五年より今年文永七年に至るまで、十七年が間是を責めたるに、日本国の念仏大体留まり了んぬ。」らしいです。

ここに留まるということを残していますが、意味は、自分の破折でほぼ念仏の命脈は終わった、ということを自負されているようです。しかももうそれは目の前だと書かれています。

どんだけネアカなんだろうと思いますが、現代で日本中の教団で一番多いのは念仏宗です。これ一個みても日蓮の予言って霊言で有名な人より当たらない予言で、大ぼらであることがよく分かりますね。