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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

物に執着して悟りの本体??

ナーマとルーパという考え方は大乗圏では無視されています。私達は自覚の有るなしに存在の意味においてナーマ・ルーパ(名称と形態:名と色)、すなわち心的現象と物質的現象の集合体でしかないと原始仏教では説いています。

ナーマ(名称もしくは名)とルーパ(形態もしくは色)が存在の集合体を形成する、これら3つの真実の他に、自己や自我といわれるものや霊魂などは存在しません。この集合体のナーマ(名)部分が、対象を経験することになっています。

① 原語は、古ウパニシャッドにおいて現象世界の名称と形態とを意味した。これが仏教にとりいれられたのである。
仏教でも最古の詩句においては、ウパニシャッド的な意味に用いられている。
② 仏教では後に、名は個人存在の精神的な方面、色は物質的な方面を意味すると解せられた。心的・物的要素の集まり。精神と物質。心と肉体。概念と存在。または、認識の対象、客観をさす。
③ 十二因縁の第四。心的な名と物質的な色との複合体。すなわち個体的存在としての五蘊の全体をさす。五蘊に同じ。『倶舎論』では名は色蘊以外の四蘊をいい、色は色蘊をさす。また十二因縁の第四としては、感覚機官形成以前の胚胎の状態における五蘊
④ 個性。人格。個人が他と区別(識別)される精神的・物質的な要素。(名色:仏教語大辞典・中村元著・東京書籍)

名色には二つの意味があり、ひとつは、現象世界の二つの側面(名称と形態)である。もうひとつは、個人存在のふたつの側面(心と肉体)です。

本来の名色は、現象世界を意味し、それが識の対象となった際の二つの側面を意味していた。ところが、識の対象には、五蘊のように自分自身も含まれ得るし、それどころか、自分を観察することこそが釈尊の教えにおいては重要であった。そのため、自分を認識対象とする修行(観)が体系化するにつれて、名色の意味は、自分の(内の)二面(心と色身)という意味へと狭められていったことになっています。

さて、ここから物である戒壇本尊が悟りの実体になり得るか、だいたい答えは導かれますよね(笑)

ナーマとルーパの解説では、無常の物体に執着するのは迷い、つまり輪廻の元となっています。永遠の菩薩活動ともいいますが、単に迷いで輪廻しているだけです。