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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

シンプルに行きましょう

釈迦におどしの言説なしと言われています。仏教の教祖の・釈迦は、いまのカルト的宗教が説くような、「私を信じなければ不幸になる。地獄におちる」式の脅しの言説は一切されていません。

ただ事象は移ろいゆくもの、無常といわれ、あるがままにそれを受け入れるだけと残されています。

物質の集まりは眼耳鼻舌身意による感覚の集まり、表象の集まり、身口意の行いの集まり、眼耳鼻舌身意による識別作用の集まり、それだけと説かれました。

どこにも自我がなるものはありません、それを如来蔵とか仏性とかが、どこか深いところに有ったのなら釈迦はそれを見つけているでしょう、でもそんなことは一偈もありません。

つくられたもろもろのものは無常であると智慧をもって見るときには、もろもろの苦悩を離れる。これは清浄に至る道である。

つくられたもろもろのものは苦悩であると智慧をもって見るときには、もろもろの苦悩を離れる。これは清浄に至る道である。

そしてもろもろのものには実体がないと智慧をもって見るときには、もろもろの苦悩を離れる。これは清浄に至る道である。(スッタニパータ)

人間はこの3つの特徴を備えるタンハー(渇愛)によって生じたナーマルーパ(名と色)の集まりなのだ。であるから苦を静めるには、苦の原因であるタンハー(渇愛)を滅すること。たったこれだけです。