正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

ピンぼけの悟り

日蓮遺文に見えるご本人の文字信仰とも言える箇所をご覧ください。

 

「御年八十と申せし、二月十五日の夜半に御涅槃に入らせ給いき、而りといへども御悟りをば法華経と説きをかせ給へば此の経の文字は即釈迦如来の御魂なり、一一の文字は仏の御魂なれば」(祈祷抄・真蹟なし)

 

先に見たように釈迦は弟子の修行が進むまでは、言葉の有用性を使いましたが、それ以上の悟りに関しては寂滅為楽として、言葉も止滅する境涯を示しました。

その境地から見ると日蓮の会得したものは初歩的段階といえる境地です。

 

「文字は是一切衆生の心法の顕れたる質なりされば人のかける物を以て其の人の心根を知つて相する事あり、凡そ心と色法とは不二の法にて有る間かきたる物を以て其の人の貧福をも相するなり、然れば文字は是一切衆生の色心不二の質なり」(諸宗問答抄・代師写本)

「此の経は諸経の文字に似ず一字を誦すと雖も八万宝蔵の文字を含み一切諸仏の功徳を納むるなり」(正元元年・守護国家論

「此の法華経の一字の功徳は釈迦多宝十方の諸仏の御功徳を一字におさめ給う、・・・妙法蓮華経と申すは総名なり二十八品と申すは別名なり、・・・法華経は釈迦如来の書き顕して此の御音を文字と成し給う仏の御心はこの文字に備れり、たとへば種子と苗と草と稲とはかはれども心はたがはず。釈迦仏と法華経の文字とはかはれども心は一つなり、然れば法華経の文字を拝見せさせ給うは生身の釈迦如来にあひ進らせたりとおぼしめすべし」(文永九年・四条金吾殿御返事)

みごとに皆ピンぼけの解釈ですね。残念法師です。