正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

四沙門果を蔑んで、四沙門果を立てる

文字を離れて言葉が滅する境涯が原始仏教では「滅尽定」もしくは解脱といいますが、大乗は涅槃と言い換えました。「滅苦」「解脱」「涅槃」は同じ意味です。

「滅苦」は無明を断つことによってすべての苦を絶滅させるという意味で、
「解脱」は俗世からの解脱、輪廻からの解脱という意味、
「涅槃」は、心を煮えたぎらせるものが冷め切ったという意味です。

この解脱の境地に至った修行者を阿羅漢といいますが、大乗経典の『涅槃経』四依品では、これらの声聞衆と凡夫を人四依として挙げて、仏滅後の末世(すなわち末法)において正しく依るべき4種の人(四種人)としている。

ところが、小乗(二乗・阿羅漢を含む)を批判して成立されたのが大乗仏教なのですが、『涅槃経』においては、これら阿羅漢の境地を二乗とし、成仏がかなわない煎った豆と差別しつつ、大乗の菩薩と同境涯しているのがおかしな特徴です。

日蓮遺文では同趣旨のことを残しています。

又第八「一切凡夫人の中に須陀洹・斯陀含・阿那含・阿羅漢・辟支仏為れ第一なるが如く、此の経も亦復是くの如し。一切如来の所説、若しは菩薩の所説、若しは声聞の所説、諸の経法の中に最も為れ第一なり。能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」已上(秀句十勝抄・真蹟)

 法華経では釈迦の十大弟子等は阿羅漢果を得たものの、それらは小さな悟りであるとされ、舎利佛などはその悟りに耽溺したことを総括反省させられています。ところがここでは四沙門果(須陀洹・斯陀含・阿那含・阿羅漢)を第一として依るべき衆生としています。

辟支仏というのは二乗の縁覚などを言うのですが、小乗を蔑視しながら四沙門果の権威によっているのもおかしなところですね。